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千葉地方裁判所佐倉支部 昭和44年(ワ)38号 判決 1971年3月15日

原告

杉井弘敏

右未成年者につき法定代理人

兼原告

(親権者母)

杉井多希子

原告

杉井良裕

原告

杉井まつ

右原告四名訴訟代理人

国広稔

右原告四名訴訟複代理人

大阪忠義

被告

右代表者法務大臣

植木庚子郎

右指定代理人

伊藤幸吉

外六名

主文

一、被告は

(一)原告杉井弘敏に対し金五千二十二万八千二十六円

(二)同杉井多希子に対し金三千二百六十一万四千十三円、

(三)同杉井良裕、同杉井まつに対し各金一千万円、

を各支払うべし。

原告杉井弘敏、同杉井多希子両名のその余の請求を棄却する。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は請求の趣旨として被告は杉井弘敏に対し金五千二百三十三万五千百四十四円、同杉井多希子に対し金三千三百六十六万七千五百七十二円、同杉井良裕、同杉井まつに対し各金一千万円宛各支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする旨の判決竝びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として原告杉井弘敏は訴外亡杉井陽太郎の未成年の長男(昭和四十年四月二日生)原告多希子は右陽太郎の妻(昭和十八年九月二十七日生)原告杉井良裕は右陽太郎の実父(明治四十三年九月十日生)原告杉井まつは右陽太郎の実母(明治四十五年六月二十九日生)であるところ、訴外亡杉井陽太郎はその存命中の昭和四十四年四月二十七日夕刻被告国の開設せる千葉大学医学部附属病院に病気入院中の知人のために献血を申し出で、これに対し同病院第二内科に勤務して医療業務に従事せる医師訴外笠貫宏及び同所に勤務せる看護婦訴外多田なをの両名において、右採血を担当したのであるが、同人等は採血にあたり採血器の点検を怠り本来の常法に従つて採血器を陰圧装置とすべきものを誤つて逆に陽圧装置にしたまま陽圧側パイプの針を右陽太郎の左正中静脈に挿しモーターを始動したため採血ビンの空気が陽太郎の静脈内に逆流し、この異状なできごとに痛く狼狽した看護婦訴外多田は陽太郎の腕に巻いてあつたゴムの駆血帯をほどいたため却つて数秒間のうちに推定約二〇〇CCの空気が一挙に陽太郎の静脈に流入しその結果陽太郎は著しく苦悶し眼を上方に見開き強直性痙れんを起してそのまま意識不明となつた。爾来陽太郎は生ける屍として近親者等の願望も空しく奇禍後四十二日目の同年六月七日午前七時三十分に遂に永眠した。

右採血に際しての笠貫医師及び多田看護婦の所為は(1)吸引器使用上の過失竝びに静脈内への空気の流入に対し駆血帯を解いたことの二重の過誤を犯したものである。

然るところ、右陽太郎の死亡事故は国の医療業務に従事する人の行為及び人格に対し全幅的信頼をもつて献血のために自己の身体をこれに一任したことにより発生したものであつて、同じく過失致死事件として多く見られる交通事故の場合などとはその本質を異にする特殊性を有するものである。蓋し後者においては加害者の人格の認識若くはこれに対して自己の身体を一任するが如き特殊な信頼関係は存在せず、従つて本件はそれらの事故と同日に論ずることはできない。

もとより医師訴外笠貫宏及びその補助者である看護婦訴外多田なおは上記過失ある直接の共同不法行為者として被害者側原告等に対し与えた損害につき民事上賠償責任のあることは当然ではあるが、これは措て置き被告国においては文部大臣の所轄する国立千葉大学医学部附属病院の開設者にして同病院に所属しその被用職員である前記医師笠貫宏及び看護婦多田なをの使用者として右両名の右病院における担当業務の遂行につき前記過失ある所為に基く不法行為に対しては一般的に指揮監督の義務を負う者として民法第七百十五条の規定により被害者側の原告等に対しその与えた損害を賠償する民事上の責任があるものである。

然るところ、被告は右不法行為に因る損害賠償就中慰藉料額につき原告等との接渉においてややともすれば、その数額を最少限度に止めようとするが如き口吻を洩らして来たものであるが、かかる被告の態度は本件の特殊性及び被害者遺族の心裡を了解せるや否やにつき深い疑問を抱かしめるものである。本件が直接人権の基礎に関する深刻な問題であることを卒直に理解され、その賠償責任を果たさなければならない。本件が人権即ち人の生存権の侵害であることに異論あるべきでなく、この侵害に対する慰藉の方法が金銭以外にないとすれば、この慰藉の尺度も亦金銭の多寡による外はないのである。而して凡そ文化国家として我が国における一般慰藉料の数額が他の文化国家に比し著しく低額であることは嘆ずべき事実として何人も認めざるを得ないところ、我が国における人権に対する保障はやや前進しつつあるとはいえ未だ満足するものとは言えず、低額に甘じて怪しまざるが如き実に封建思想の遺風である切り捨て御免の人権軽視の観念に胎するものである。果して然らば被告は今こそ慰藉料に対する態度を改め一段と前進せしめ、もつて今回の人命毀損に対する償の一端たらしめると共に爾後一層人権の尊重すべき所以を徹底せしめなければならない。かくて始めて故人の霊も徒死から救われるべく、この趣旨において原告等の請求する後記慰藉料の数額はもとより当然というべく被告はこれに応ずべき絶対の義務がある。

然るところ亡陽太郎はその父原告杉井良裕を社長とする千葉県下著名の酒類卸売問屋株式会社杉井本店(資本金四百十万円)年間営業高二億二千万円の専務取締役として死亡当時年収約百六十万円の所得を有する前途有望の青年実業家であつた。原告である父良裕は齢既に六十余歳を迎えたので、近く社長の地位を陽太郎に譲り業務の発展を所期していたもので、尚良裕は会社経営の外時価一億一千三百万円の財産(内不動産約八千万円相当)を有し、陽太郎の相談役として平隠裡に余生を送ることをその妻原告杉井まつと共に老後最大の楽しみとしていたものである。次に原告杉井多希子は銚子市渡辺家から昭和四十一年十二月七日訴外陽太郎に嫁し長男である原告弘敏を儲け、多幸なる人生を約束されていた。而して原告杉井弘敏は家庭的幸福の中心たる存在であつたが、僅かに一歳にして突然父陽太郎を失い遂に父親の愛情を生涯知ることを得ない不幸な存在となつた。以上の重なる不幸は止だ陽太郎の死という現実により一瞬にして生じ、しかも原告等の終生を通じて暗影を投ずるものである。

ところで被告国は、原告等に対する損害賠償として(1)亡陽太郎の将来の逸失利益金二千二百八十四万一千九百六十六円、(2)慰藉料、亡陽太郎に対し金五十万円及び外原告等四名に対し、夫々金五十万円宛、合計金二百万円を提示し来つた。右(1)の計算は三十二才をもつて死亡した陽太郎の場合、この就労可能年数を三十一年とし、月収金十万円、基準年収を金百二十三万九千九百九十六円としてホフマン式により計算したものである。然れども本件の場合、被害者陽太郎は近く訴外株式会社杉井本店の社長の地位を約束されていて、この地位は自ら退かざる限り終生保証され、従つて三十二才をもつて死亡した者の余命(厚生大臣官房作成余命表に拠る)平均三十八年(死亡当時の年齢との合計七十年)が即ち故人の就労可能年数と看るべきで(この場合余命と就労可能年数は一致する)右の基準年収にホフマン係数二〇、九七〇を乗じた金二千六百万二千七百十六円が将来得べかりし利益の総額である。次に(2)の慰藉料については、これが算出の基礎に多大の疑問を禁じ得ない。もとより慰藉料であるからある程度の幅は已むを得ないとはいえ、貴重なる人生を無慙にも抹殺された代償として僅かに金五十万円とは到底納得し得るものではない。右の数額は或は逸失利益の算出において多額の金銭を予定されるので、この点を斟酌したのではないかとも想像されるが逸失利益は生きていれば当然に取得さるべき金銭で慰藉料とはその性格を異にするものである。即ち前者は純然たる物質的観点に立つに対し生命喪失の慰藉料は、人生の価値評価に基くものである。更に同じ慰藉料においても人事問題或は傷害虐待などの場合と、たつた一度の人生そのものを喪失した場合とでは一は相対的の問題であり、他は絶対的の問題で本質的に立脚点を異にする。しかも本件の場合故陽太郎は社会人としての善意のみがあつて所謂法律上相殺の介入する余地さえもないのである。

以上の事実に基き、原告等は、被告国に対し(1)被害者本人亡杉井陽太郎の逸失利益として曩の如く金二千六百万二千七百十六円及び(2)右本人の慰藉料として金三千万円、右二口合計金五千六百万二千七百十六円のところ、右遺産につき原告杉井弘敏は亡父陽太郎の長男たる直系卑属として三分の二、原告杉井多希子は亡夫陽太郎の妻として三分の一の夫々相続をし、尚右原告両名は民法第七百十一条の規定による各固有の慰藉料請求権を有するので、これが慰藉料各金一千五百万円を加算するにおいて、原告杉井弘敏は合計金五千二百三十三万五千百四十四円原告杉井多希子は合計金三千三百六十六万七千五百七十二円、亡陽太郎の父原告杉井良裕、母原告杉井まつは夫々慰藉料金一千万円をもつて相当とすべく、而して原告等は被告に対し右各金の支払いを求めるため本訴請求に及んだと陳述し、<証拠略>。

被告代理人は原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする旨の判決竝びに仮執行免脱の宣言を求め、仮に仮執行の宣言を附与する場合の担保を条件とする執行免脱の宣言をも求め、答弁として、原告主張の請求原因事実のうち、訴外亡杉井陽太郎と原告等との身分上の関係、訴外亡杉井陽太郎が昭和四十四年四月二十七日午後国立千葉大学医学部付属病院において採血中担当の医師訴外笠貫宏、同看護婦訴外多田なをの両名が原告主張の如く採血器の点検操作を誤るの過失ある所為に因り右陽太郎の左正中脈内に空気を急速に流入するに至らせ、その結果同人が強直性痙れんを起して意識を喪失し満三十二才にして同年六月七日死亡した(直接の原因は肺内出血)こと、右不法行為によつて生じた損害賠償請求につき、原告等が被告国に賠償責任ありとすることにつきその法的根拠として民法第七百十五条一項の適用があることは、孰れもこれを認めるが、爾余の主張事実就中損害額については総て争う。事情として、訴外杉井陽太郎が入院中の知人のために進んで供血を申し出てその採血中に担当医師笠貫宏、同看護婦多田なをの採血上の過誤により死亡するに至つたことは誠に遺憾なことであつて、原告等近親者にとつては大なる不幸といわなければならず、被告国においても同情の念を禁じ得ないところであるが、これを法律的観点からすれば本件が極めて初歩的な過失によるという点を除き通常の医療過誤、交通事故等による死亡と著しく異るとは考えられない。被告国は適正妥当な慰藉料を支払うことを惜しむものではないが、原告等主張の損害額就中慰藉料はその算出について充分理解し難く金額も妥当とは認め難い。よつて、原告等の請求に応ずることはできないと陳述し、<証拠略>。

理由

審按するに訴外亡杉井陽太郎と原告等との身分上の関係、被告国の開設に係る国立千葉大学医学部附属病院において昭和四十四年四月二十七日午後同病院に勤務せる担当医師訴外笠貫宏、同看護婦訴外多田なをの両名が供血者訴外杉井陽太郎から採血するにあたり原告等主張の如く採血器の点検を怠り本来の常法に従い採血器の陰圧装置とすべきものを逆に陽圧装置に取り違えて陽圧側のパイプの針を陽太郎の正中静脈に挿してモーターを始動したため、同静脈から陽太郎の体内に約二〇〇CCもの空気を急速に流入させその結果同人が強直性痙れんの発作を起して急に意識を失い、これが原因で同年六月七日死亡したことは被告の答弁の要旨及び本件口頭弁論の全趣旨に徴し当事者間に争いがないものと認める。然らば右陽太郎の死の原因は被告の被用者たる右訴外医師笠貫宏、同訴外看護婦多田なをの前記千葉大学医学部附属病院における医療業務の執行につき発生したことに因るものと認むべきであるから、被告右両名に対する一般的監督の地位にある使用者として原告等に対し右笠貫、多田両名の過失ある所為により陽太郎をば死亡するに至らせたことによつて、民事上与えた損害を賠償する責任があるものといわなければならない。

もとより医師及びこれを補助する看護婦らによる供血者からの採血は供血者に対し所謂治療を施すものではないが、他の本来患者とせられる者に対する輸血と直接的に表裏一体を為し、両者不可分的に相通じるものであつて、総じて医療行為の範疇に属するものと認められることは常識上一般公知の事実であり訴外笠貫は医師として、又同多田はその補助者たる看護婦として、夫々採血の実施にあたつては採血器の点検操作について、専門見地に立つて、互に緊密な連携を保ちつつしかも個別的にある程度の独立性を固有しているものであつて、本件陽太郎の死は、この同人等の過失ある所為に因るものではあるが、その実施面において被告国は前記の如く、右医師及び看護婦らに対し病院の開設者にして、且つ使用者として包括的一般的監督を為す地位にあるものと認められるのであつて、然るに本件において被告は訴外笠貫及び同多田らの採血の実施にあたり、前記過誤のあつたことにつき使用者としての免責事由の主張立証がないのみならず、却つて賠償額の多寡を除いては原告等主張の民事上賠償責任のあることにつき、前記の如く争いのないことが認められる以上被告の原告等に対する賠償責任を肯認するのが相当である。

そこで先ず亡陽太郎の将来の逸失利益の損害額につき考察するに訴外陽太郎はその死亡せる昭和四十四年六月七日当時満三十二才であつたことは本件口頭弁論の全趣旨によつて当事者間に争いがないものと認められるところ、<証拠>によれば亡陽太郎は死亡当時千葉県印旛郡八街町において酒類の卸売問屋を営む訴外杉井本店の専務取締役として報酬一ケ金十万円を支給され、これが一ケ年計金百二十万円及び年間を通じ賞与金四十万円以上年収合計金百六十万円を収得していたものであつて而して生活費一ケ月金三万円にして、これが一ケ年計金三十六万円であることが認められるので、亡陽太郎の一ケ年の純収入が金百二十四万円であることは計算上明らかであるものと認める。而して一般公知の事実と認められる厚生大臣官房統計調査部の調査結果による第十一回生命表によると男満七十才まで生存可能であることがほぼ認められるから、陽太郎においても、右の例に洩れることなく、本件の如き奇禍に遭遇しなかつたならば、前記平均生存年齢満七十才まで生存し得て余命年数三十八年を保持したものといわなければならない。ところで原告杉井弘敏、同杉井多希子等は満三十二才で死亡した本件亡陽太郎の場合余命生存年数三十八年であると共に、同人は行く行くは将来父原告杉井良裕の後継者となつて、前記訴外株式会社杉井本店の社長に就任し、その余命年数三十八年と同年数は就労可態であつたものであり、従つて余命年数と就労可能年数とは一致し優に満七十才まで生存して余命年数三十八年間に相当する期間就労しその間に少くとも前記一ケ年金百二十四万円の割合いによる純収入を挙げ得たと主張するのであるが、原告本人杉井良裕に対する尋問の結果によれば、訴外株式会社本店の社長の地位は六十才位を目標にして後継者に譲り隠退後は新社長の相談相手となつて、専らその余生を送るおおかたの方針であることが認められるので、仮に亡陽太郎が生存して右会社の社長に就任したとしても到底七十才まではその地位に止どまることなく特段の事情がない限り矢張り父良裕にならない良裕と同様六十才を僅かに越える程度の年齢で後継者に跡を譲つて隠退し就労年数三十八年には達しないことを窺い知ることができるものである。そうだとすると満三十二才で死亡した陽太郎の就労可能年数は当裁判所に顕著な就労可能年数及び新ホフマン計算方式読替係数表によつて明らかな三十二才で死亡した者の推定就労可能年数三十一年に該当するものと認めるのが相当であつて、これを動かすに足りる確実な資料は存しない。

されば、右の観点に立つて亡陽太郎の前記一ケ年の基準純収入金百二十四万円の割合いによる就労可能年数三十一年間に亘るその間の得べかりし逸失利益については、ホフマン式計算法による民法所定の年五分の率による中間利息を控除して、右死亡当時の現価を算出すると一ケ年の純収入金百二十四万円へ新ホフマン計算方式読替係数一八、四二一を乗じて得た金額即ち金二千二百八十四万二千四十円が亡陽太郎の将来得べかりし逸失利益額とみるのが相当である。

次に慰藉料につき按ずるに亡陽太郎の死亡原因は前記の如く被告国の被用者訴外笠貫医師及び同多田看護婦らの採血にあたつて採血器に対する常法に従つた基本的な点検を怠り操作した過誤に基因するものであることは、曩に認定の通りであつて、人の生命及び健康管理を責務とする医師及びこれを補助する看護婦の過誤としてはその程度及び態様から見て結果に対する民事上の責任は決して軽いものではないとしなければならない。然るに一方被告国は前記病院における被用者笠貫医師及び多田看護婦に対する使用者にして一般的監督の責任ある地位にある者として本件事故の発生を未然に防止するに足りる必要な責務を果したものとは到底認められない。尤も<証拠>によれば、陽太郎が意識を失つた後において病院の医師看護婦等により陽太郎に対する最善の治療と手厚い看護の処置を講じられたことが認められ、この点誠に了とすべきではあるが、それにも拘らず、陽太郎の容態は悪化の一途をたどり、遂に再起せしめることができず、徒労に終つたものであつて、この事実に鑑みても、本件事故が元々本質的に再起不能にあらしめる程の前記重大な死の原因を与えたことに基因することを認めしめるものである。結局被告の執つた最善の処置も所詮はあとの祭に帰したものと認めざるを得ないのであってたとえ前記の処置を執つたとしても、それは寧ろ事故を惹起せしめた加害者側として当然に為すべき爾後の処置であつたと認められるのに過ぎず、慰藉料算定にはさ程減額を価値付けるまでに至らないものと思われる。<証拠>によれば、本件陽太郎に対する採血上の過誤を惹起せしめたことが当時報道機関によつて世上に公表され、且つ国会における論議の対象となつたことが認められるのであるが、これは本件事故が採血上嘗つて例のない特殊性のある事故であると共にそれだけに供血者陽太郎の死の結果に対する被害者側の打撃の著大さを如実に示したものとして注目に価いするものと考える。即ち陽太郎に対して採血にあたつた訴外笠貫医師及び同多田看護婦は多かれ少なかれ採血器の点検、操作採血に関する専門的知識を有し、医師及び看護婦として夫々本件の如き結果発生に対する予見義務と又、その危険発生の回避義務を課せられていて、所謂実験上要求される最善の注意義務を尽し、よつてもつて危険の発生を未然に防止する責務を負う者と認められるのに比べ、陽太郎は極めて人道的にも善意にして、しかも単純な無智の供血者であるに過ぎず、ひとえに右笠貫医師及び多田看護婦をば信頼して自己の生命の危険あることに何の疑いをも抱かず挙げて自己の身体を同人等にゆだねて採血に協力寄与し、これにつきいささかも過失の責を負はしむべき余地の存しない被害者であつたことが認められる。

ところで従来人の生命侵害に対する損害賠償就中直接の被害者本人に対する慰藉料について被害者に何等責むべき過失がないでも理論上の理由で全くこれを否定し、或はこれを否定しないまでも生命の重大さに比べともすると、その賠償額に至つては極めて少額に終らせる傾向がないではなく、而して本件の場合、被告は直接の被害者陽太郎に対する慰藉料請求権につき全くこれを否定するとまではいかなくとも、その額については極めて消極的であることは口頭弁論の全趣旨に徴し容易に認められるのであるが、一般的に言つてこれは改めるべきであり能う限り被害者側に対しても合理的な納得のいく額と、これが慰藉料請求権の相続性を容認し、救済の道を講ずべき現実的な必要と充分の理由が存するものと考える。而して本件についても、これと同断であるところ、加えて本件加害者側の被告国は単なる一個人と異なり一般的に財産的資力が大であり、たとえ予算上の制約を受けるにしろ、不法行為の場合の賠償能力においても亦右財産的資力に比例して一個人よりも遙に優つているものと認められることは一般公知の事実であるので、これを本件の賠償額の認定には重要な参酌事由の一つに加えて然るべきものと思われる。この場合、使用者である被告国から直接の加害者訴外笠貫宏、同多田なをに対する事実上求償権の行使の能、不能は考慮に容れる必要も理由も存しないことは当然である。それは加害者側の内部的事情に過ぎないことと、被告国は対外的な被害者側に対しては右の被用者とは別個に賠償責任を負うべきものと認められるからである。

さて原告本人杉井良裕に対する尋問の結果によれば、亡陽太郎は父原告杉井良裕の長男として生れ長ずるに及んで千葉商業高等学校を卒業し、死亡当時は父原告杉井良裕の社長である前記酒類卸売問屋にして千葉県下における同種会社四十二軒のうち営業高十四、五番に相当し、年商約二億二千万円の業績を誇る訴外株式会社杉井本店(資本金約四百四十万円位)の専務取締役として前記認定の如く報酬及び償与共年額金百六十万円を支給され、父社長の跡目を継ぐ地位にあつて青年実業家として採来を嘱望され、毎日を健康で、右会社の業務に精進していたこと、陽太郎には妻原告杉井多希子との間に当時生後二才八ケ月の原告杉井弘敏があり、右会社資産の他に陽太郎は土地約百六十坪、預金額約二百万円位を有し、何不自由のない円満な家庭生活を営んでいたこと、然るに前記の如く知人のために人道上善意の供血者として前記病院に赴き、被告の被用者訴外笠貫医師及び同多田看護婦らの採血上の過誤により生命を失うの悲しむべき結果となつたものであつて、これこそ正に人生最大の痛恨事としなければならない。そこで叙上認定の事実竝びに全事情を通観した結果に基き、被告国は亡陽太郎の蒙れる右無形的損害に対する賠償即ち慰藉料として金三千万円を支払う義務があるものというべく、右義務を履行されることによつて漸くにして慰藉されるのに過ぎないものと認定する。

尚亡陽太郎本人の慰藉料請求権を認めるについては、陽太郎は元々死の結果を招来した程の重大な障害を蒙つたのであるから、この事実に鑑みその障害を受けた昭和四十四年四月二十七日事故発生の時点において、この時既に死の結果の発生を停止条件とする条件付慰藉料請求権(もとより障害そのものに対する慰藉料請求権ではない。)を取得したものと認むべく、而して死の結果を惹起することのない単純な傷害に因る被害者本人に対し、当然に慰藉料請求権の容認せられるのとの均衡上かく認める民事上充分の法律的価値があるものというべきである。然るところ、右停止条件付慰藉料請求権は現実に本件事故が原因で陽太郎の死の結果が発生したことによつて即ち停止条件が成就することにより、これと同時に時間的間隙をおくいとまもなく即、自動的に停止条件付慰藉料請求権は現実的な慰藉料請求権に転化し、これと同時に言い換えれば陽太郎の死による権利主体の消滅と引換えに、これ亦時間的にはいささかも間隙をおく余地もなく、又事前に慰藉料請求権行使の意思を表示すると否とにかかわりなく、既に現実化した慰藉料請求権はそのまま当然に相続に因り別な権利主体である後記相続人原告杉井弘敏、同杉井多希子の両名に夫々の相続分に応じて転移承継されたものと認むべきである。尤も事実行為である不法行為に対し法律行為の附款である筈の停止条件の理念を導入することはいかにも奇異の感を抱かしめないでもないけれども、生命を失つた者に対する慰藉料請求権とこれが相続を認めるためには敢えてここに停止条件の理念を類推して適用する必要があるものと考える。

次に<証拠>を綜合すると、原告杉井良裕は前記認定の如く千葉県下においても著名な酒類卸売問屋株式会社杉井本店の社長の地位にあつて、その個人資産としても約一億二、三千万円位を有し、而して社会的地位も相当と認められ齢既に六十余才を迎え、近く社長の地位を長男陽太郎に譲り余生を陽太郎の相談役として平隠裡に送ることをその妻原告杉井まつと共に老後最大の楽しみとしていた矢先に突如として、長男陽太郎の死に遭遇し、一瞬にして右の望みは挫折して仕舞つたこと、原告杉井多希子は昭和四十一年十二月七日陽太郎に嫁し一男原告杉井弘敏を儲け将来多幸なる人生を約束されていたこと、又原告杉井弘敏は当時僅かに齢二才余にして父を喪い生涯父親の愛情を知ることのできない不幸な存在となつたことを夫々認めることができる。近親者原告等にとつて陽太郎の死は実に断腸の思いであり、想像するだに余りあるものと推察し得るのであつて、加えてこの先原告等の終生を通じて、暗影を投ずることは否定し得ないものと思われる。以上の事実に基き直接の被害者本人杉井陽太郎の曩に認定の(1)逸失利益の損害賠償金二千二百八十四万二千四十円及び(2)右本人の慰藉料として金三千万円、右二口合計金五千二百八十四万二千四十円であるところ、右陽太郎の被告に対し取得せる右(1)(2)の損害賠償請求権は亡陽太郎の遺産として相続の対象となるものと認むべく、その直系卑属たる長男原告杉井弘敏がその法定相続分三分の二亡陽太郎の配偶者たる妻原告杉井多希子は同三分の一の割合いで夫々相続に因り承継した外、右原告両名は前記陽太郎の死に因り夫々固有の慰藉料各金一千五百万円宛請求し得るものと認めるのが相当であるから、右金を前記相続に因り承継取得した請求金額に夫々加算するにおいて、原告杉井弘敏は合計金五千二十二万八千二十六円、原告杉井多希子は合計金三千二百六十一万四千十三円、原告杉井良裕及び同杉井まつ夫々慰藉料金一千万円を請求し得るものと認めるの相当である。従つて、原告杉井弘敏、同杉井多希子の請求は、右の限度額において正当として認容するが、爾余は失当として排斥すべく、原告杉井良裕、同杉井まつの請求は孰れも全部その理由があるものとして正当としてこれを認容する。

よつて、被告国は原告杉井弘敏に対し右金五千二十二万八千二十六円、原告杉井多希子に対し金三千二百六十一万四千十三円、原告杉井良裕、同杉井まつに対し各金一千万円宛を各支払う義務があるものと認定する。尚本件においては仮執行の宣言を付するのを相当でないと認め、これを付さないこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条を適用して主文の通り判決する。(立沢貞義)

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